先回は、大化の改新が何故起こったのかについてお話をしました。
今回は、大化の改新から白村江の戦い以後の日本の兵制、つまり国防についてお話をしたいと思います。
古代の兵制のお話に入る前に、兵制には大きく分けて2つの形がある事を述べておきたいと思います。これは日本史でも世界史でも大きな違いは無いかと思います。
1つ目は、徴兵制、これは国が一定基準に到達した人々を、半ば強制的に兵士として組み込む制度の事です。この制度の良いところは何よりも数が確保できる事、表面的にはコストがそんなにかからない事(表面的にはですが)、そして場合によっては国を守るという使命感も確保できることがある事、です。半面、平時でも兵士を徴収するので、その間生産活動に従事させる事が出来ないで面があり、本当のコストは結構高かったりすることはデメリットといえます。
戦史には、寡兵で大軍を倒した事例もありますが、実際にはそのような事例は少数です。圧倒的事実は、戦争は数が多いほうが有利です。その意味で兵士の数が確保できる事のメリットは大きいです。また表面的なコストも安くつくので、非人道的な話ではありますが兵士が死ぬことを恐れずに、積極的な作戦を立てることも可能になります。そして何よりも、国を守るという状況下では、その士気も大きなメリットになります。兵士自身が自発的に、死を恐れずに戦う事は、戦に勝つためには非常に大きな要素になります。
2つ目は、傭兵制、これはお金を始めとした報酬で、戦を職業とした人を雇い入れる制度の事です。この制度の良いところは、戦を生業とした人を雇い入れるので、専門的な技能を活かせる事、必要な時に必要な兵士を確保するだけでよいので、平和な時期に余分なコストがかからない事、そしてコストとも関係するのですが平和な時期に民衆を生産活動に集中させる事が出来る事です。デメリットは、兵士の数を確保できない事、コストをかけて兵士を雇っているので積極的な作戦計画を立てる事が出来ない事、そしてお金で雇っているので、死にそうになるとすぐに逃げ出してしまう事が上げられます。
傭兵制の良い点については、主にコスト面が上げられるのではないかと私は考えていますが、民衆を軍事ではなく生産活動に集中させる事が出来る事は、税収の増加といった点にもつながる事でもあります。
つまり、徴兵制は戦争状態が比較的続いている状況の下では、そのメリットが大きく採用され、傭兵制は平和な状況が比較的続いている状況の下では、そのメリットが大きいと言えると思います。今現在、北朝鮮と韓国とは戦争状態にあるといってもよい状況ですが、韓国で徴兵制が採用されていることを考えるとイメージしやすいかもしれません。
さて、上記の2つの兵制についてお話をしましたので、古代日本の実情についてもう一度振り返ってみましょう。日本は、白村江の戦いで「唐」「新羅」の連合軍に完敗を喫します。そう西日本の軍事態勢の崩壊です。このような状況下でどうやって防衛体制を再構築すべきでしょうか?徴兵制を採用すべきか、傭兵制を採用すべきか。
当時の日本は、「唐」「新羅」から圧力を受けています。そう戦時体制にあるといってもよいと思います。そういった状況下でメリットが大きいのは、徴兵制です。実際に当時の日本は、東日本から防人を徴収し、九州に派遣し、防衛体制を再構築していきます。西日本ではなく、東日本から徴収したのは、当時の西日本は、白村江の戦いでその軍事力が崩壊していたためではないかと私は考えています。
西日本の軍事態勢の崩壊は、朝廷にとっても悪いことばかりではなかったと思います。当時は、西日本の豪族が力を持っていました。朝廷といえども口をはさみにくかったことろ、その力が激減、「唐」のような中央集権的な国づくりをする上ではもってこいのチャンスだったのだと思います。
このような、徴兵制をもとにした軍事態勢は、白村江の戦いから奈良時代が終わるまで、続くことになります。しかし時代も奈良時代から平安時代に移り変わっていく中で、隣国からの脅威が薄れていく事になります。平安時代には、農村の活性化と税収確保の観点から、徴兵制をもとにした制度をやめ、健児の制といわれる傭兵制を採用することになるのです。
そして時代はうつり、やがて武士といわれる人々が生まれ、自立し、中央権力からも独立をし、自らの政治を行う時代になっていくのです。