今日は、初代の天皇についてお話をしたいと思います。
皆さんは初代の天皇と聞いて誰が思い浮かぶでしょうか、日本書紀には神武天皇のお名前があるので、神武天皇。でも神武天皇は実在していないかもという話もあるので、うーん誰でしょうか?
実は、実在したとされる初代天皇については、色々な説もあり現時点ではわからないとしか申し上げられません。神武天皇は実在したので、神武天皇だという考えもあれな、神武天皇と同じくハツクニシラススメラミコトというお名前の崇神天皇という説もあれば、神武天皇、崇神天皇と同じく神の名前が付く、応神天皇であるという考えもあったりと、現時点でははっきりわからない状況です。
では、今の皇統につながる確実な天皇はだれかと問われると、継体天皇であると言えます。継体天皇は、5世紀末から6世紀初頭にかけて活躍された方で、天皇家の血筋が絶えそうな時に、乞われて越前の国から大和入りした天皇で、応神天皇の5世孫とされています。ただ5世孫というとめちゃくちゃ遠い親戚だなと思われる方もいると思いますが、実際にかなり遠い親戚です。
色々な天皇について紹介をしましたが、実は神の名がつく天皇は、神武天皇・崇神天皇・応神天皇の3名のみで、私自身は実在した初代天皇は、崇神天皇か応神天皇ではないかと思ってはいます。
では、日本で最初に天皇を名乗った人物は誰かと問われると、どうでしょうか。え、そんなの昔から天皇という名前を使っていたのだから、初代天皇からなのではないかと思われるかもしれませんが、実は違います。
日本で最初に天皇を名乗った人物は、大化の改新・白村江の戦いを経て、古代史最大の内乱といわれる壬申の乱に勝利した天武天皇だと言われています。え、天武天皇が最初に天皇を名乗ったのであれば、それ以前の天皇は何なのと思われる方もいるかもしれません。天武天皇以前は、天皇ではなく大王と言われていました。天武天皇以後、天武天皇以前の大王も、天皇であるという事で、天皇号でお呼びすることになり、それ以後は今に至るまで、天皇という名前が定着しています。
実は、この事は隣の大国である中国とは、結構違う点でもあります。中国では、国のトップは皇帝と呼ばれています。中国初の皇帝は誰だという問いには、確実に始皇帝であると答える事が出来ます。始皇帝以前は、王号で呼ばれており、始皇帝以後に皇帝という呼び名になったものの、始皇帝以前の王様は王号のままで、皇帝と呼ばれることはありませんでした。
中国では、皇帝を最初に名乗ったのも初代皇帝も始皇帝であるが、日本では、最初に天皇を名乗った人物と、初代天皇が違うという事なのです。
当時の天武天皇は、なぜこのようなかたちをとったのでしょうか?これは仮設でしかないのですが、私は天皇という地位を万全のものにするためだったのではないかと思っています。太古の昔から日本では天照大神の子孫である、天皇が国を治め、この事は未来永劫そうあるべきである、という形をとれば、どのように時代が変わろうとも天皇の地位は特別なものであり、何人であろうともそれにとって代わる事は出来ないという事になります。
実際に、その後天皇以外の者が力を持ち、人々を従わせるという事になりますが、天皇を中心とした体制については誰も打破することは出来ていません。中国では、力あるものが皇帝になれるため、始皇帝の血筋も3代で絶えてしまい、その後は力あるものが皇帝を名乗り支配するという、まさにバトルロワイアルの状況になってしまいました。
世界史的に見ても、天皇家は奇跡の存在であると思います。
今日は天皇についてお話をしましたが、実は最初にこの国の名前を日本と名乗ったのも、天武天皇であると言われています。それ以前は倭の国と言われていました。中国がそのように我が国の事を言っていたわけですが、中国から言われて国の名前を決めるのでなく、自分たちで自分の名前を決めたのが、天武天皇の時代でした。
正に「天下草創の時代」と言えると思います。
次回もちょっとした雑学を含めてお話が出来ればと思います。本日もありがとうございました。