菅原道真
平安時代の貴族。894年に遣唐使に任命されましたが、
唐の勢力は衰えており、もう唐から学ぶ必要はないと遣唐使の派遣の停止を提案し認められました。
年号覚え方:白紙(894年)に戻す遣唐使
非常に学問に優れ醍醐天皇に気に入られ昇進し右大臣になりましたが他者からの妬みにより大宰府へと左遷。
そこで生涯を終えました。
朝廷は道真のたたりを恐れ、道真を神(天神)として祭り、やがて学問の神様として知られるようになりました。
また、道真公は空海、小野道風とともに「書の三聖」と称えられたことから、「書道の神様」としての信仰も広まり、室町時代には文化的教養である「和歌・連歌の神様」としても慕われ、天神さまの掛軸や御画像を掲げた連歌会が数多く催されました。
江戸時代になると寺子屋制度の拡充により、「学問・手習いの神様」、「子供の守り神」として敬われるとともに、「天神記」や「菅原伝授手習鑑」など、天神さまを題材とした浄瑠璃や歌舞伎が数多く上演されました。
このように時代の流れとともに、天神さまがより身近な存在として親しまれ、「学問・文道の神様」として広く信仰されるようになりました。
なので「学問の神様」=勉強が好きだった
という理由だけで祭られているわけではないということですね。
では今回は以上です。