さて、時は奈良時代。
この時の日本(朝廷)は唐から政策や文物を学び日本にも導入するために遣唐使を派遣していました。
当時は造船や航海の技術が十分ではなかったため航海には危険と隣り合わせの面もあり、阿倍仲麻呂のように遭難して日本に帰国できず一生を唐で終えたという人もいました。
が留学生らによってい唐の進んだ制度や文化が日本に伝えられました。
その際、鑑真という中国・唐時代の高僧であり、律の大家として尊敬を集めていた人物がおりました。
日本での戒律の整備を目指していた聖武天皇の意を受けた日本僧・栄叡、普照より懇請され、その地位をなげうち、日本に僧尼の守るべき生活の規律などを伝えるために渡日をしました。
が、5度の日本への渡航失敗・失明するに至りました。
しかしそれらをものともせず、6度目にしてようやく日本の地を踏みました。その後、唐招提寺を拠点に、中国正統の律の教えを日本に定着させました。
こうして遣唐使や鑑真の活躍により日本での仏教の質を飛躍的に高めることになったのでした。
では今回は以上です。