赤池校の皆さん、こんにちは。
「子供を褒めて伸ばす」
よく言われることです。ほとんどの塾の先生もたくさん褒めて自信をつけさせる、と言って実践している人も少なくないでしょう。
私は社員の採用面接や研修を担当していますから、よく「生徒のやる気を高めるために何が必要だと思いますか?」と質問すると、
ほとんどの人が「褒めてあげることです」と答えます。
間違ってはいないし、褒めないよりは褒める方がいいでしょう。
しかしここは大きな落とし穴があります。
そもそも子供というのは(私たち大人もそうですが)、「何を言われるか」より「誰に言われるか」の方が大事です。
例えば、時間を守らない上司や仕事をしない(できないではない)上司から「時間を守って素晴らしいね。仕事をちゃんとやるから君は偉いね」と褒められて嬉しいでしょうか?
嬉しいより先に、「いや、お前に言われたくないよ!」と思うのではないでしょうか。
そもそも褒める、というのは上から下にする行為ですから、年齢や立場ではなく、「出来ている人、やっている人、尊敬できる人」からされて初めて嬉しい行為なのです。
私たちは常に「先生」と呼ばれる立場ですから、ここを勘違いして尊敬される自分でも信用に値する自分でもないのに、ただ立場の違いだけで上から目線で「偉いね」と褒めても生徒には何も響かないのです。
ですから、どうしてたくさん褒めているのにどうも生徒のやる気が伸びないな、と更に褒めることを考える前に、根本的に「何を言うか」ではなく「誰に言われるか」を考えないといけないのです。
『この人に褒められたらうれしい』という存在になることの方が大事だということです。
今の日本の子供たちに「親や先生を尊敬しているか?」と質問したアンケートでは20.6%しか「はい」と答えていません。
欧米や韓国などでは80%が「はい」と答えており、日本の「大人」がいかに尊敬されていないか分かります。
しかしひと昔前からそうだったでしょうか?
剣術の先生、学問の先生、と呼ばれる人たちには「弟子にしてください」と門下生が集まっていました。
それは「先生」と呼ばれる人たちは教える以上に自分自身も鍛錬し、努力する姿に、門下生が集まっていたのです。
ですから塾の先生が勘違いしてはいけないのは、「褒めるか褒めないか」以前に、少なくとも尊敬、信頼されるくらい自分もやれているかどうかを考えなければならない、ということです。
そういう先生になって初めて、褒めた時に生徒が「嬉しい」と感じることがやる気に繋がるのです。
そこが教育業に携わる仕事の難しいところであり、やりがいの部分です。
仕事を通して成長する、自己研鑽する、そこにコミットしていないと僕は「先生」業はしてはいけないと思っています。
そういう悪い見本の先生や大人がすることは教育ではなく「凶育」だと勝手に言葉を創っています。
さて、次回はこの、「褒める」ということ自体もいかがなものか?という内容をアップします。
私は塾で生徒を褒めません。その代わり〇〇をします。
褒められるより嬉しい言葉があります。
子育てに使えますよ。お楽しみに。