今回は聖徳太子の死後、豪族・蘇我氏の権力が天皇家を上回るほどに強くなっていました。
その権力の強さは行動にも表れており、蘇我氏は自分の地位を脅かしそうな人物がいた場合に怖いから死刑にしなさいと言ったら、それが実際に行われ罷り通っていたぐらい何でもできる権力を持っていました。
その権力を使い聖徳太子の息子も攻め滅ぼしています。
しかし、これだけ滅茶苦茶やっていると当然不満が募るもの、この状況を打破しようと動き出したのが、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)です。
唐(昔の中国の王朝)から帰国した留学生や学問僧、また彼らから最新の政治技術を学んだ者たちが、国家体制を整備し、その中に諸豪族を編成することによって、官僚的な中央集権国家を建設し、権力集中をはかろうとする動きが起こりました。
そして蘇我氏を倒し、彼らが中心となり政治の改革を初めて、この年、初めて「大化」という年号を定めたとされているので「大化の改新」と呼ばれています。
ここから公地公民といった政策や天皇の入れ替わり、皇位を巡っての争いが起きますがそれはまた別の機会にご紹介します。
掻い摘んで言うと、権力を持っていても傍若無人に振舞いすぎるとしっぺ返しをもらうというお話でした。
では今回は以上です。