こうあらねばならぬ!これだけが正しい!出来ないのならやる必要もない!無駄な事はやめろ!どうせ無理ムリ!・・・
親が教師が周りの大人や同級生らが否定していきます。
元々出来ない子はいません。
ハンデを持ってる子はいます。しかし、そのハンデも一つの個性です。その個性を活かせばいいのです。
勉強が出来ない、しようとしない、やる気がない、物事を考える事も出来ない、日本語すら理解できない、・・・。
まるで意識の無い植物のような感じ?
植物は生きようとしています。
こどもたちが、何も理解しようとしない?のでしょうか?
単に、興味がないだけとちゃう?・・・
物事を考える能力は、みんな平等に備わってる。
その能力は、鍛えんとレベルが上がりません。
小学1年生が何の知識もなく数3・Cが解ける事はまずない。
足し算引き算、桁が増えたときのイメージの仕方等、教わって自力で習得してからのひっ算の演習。
そこから長い年月の積み上げで、高校の数学や大学での問題等を解く力がついていく。
習得するには、長期間が必要となる。
どんなに能力があっても、手付かずの幼児のままでは、使えません。
成長させるには、学習という”筋トレ”が必要です。
小学校は、成績がダメダメでも一年ごとに上に上がります。
次の学年で頑張ろう!と意気込みます。しかし、その時点で中途半端な筋トレしかしてないから次の学年でも理解不能になる。小1レベルの子が、6年生の問題をやる感じです。不可能です。
しかし、6年間をもう一度やり直すことは出来ません。すぐに中学生です。
じゃ、諦めるのか?
こどもたちの可能性は、みんな平等にあるんや!
学習する能力も平等。いつからでも、再度積み上げていけばいいのです。どうしても時間はかかる。それでも「学習力」がついて行けば、一気に加速していきます。
元々出来ない子はいません。ただ使ってないだけで、さび付いているのです。使い出せば、どんどんスムーズに動き出す。動き出したら、止まらない。
それは、「生きてるから」です。
可能性があるのなら、たとえどんな状況下でも生き続けていくものです。植物も動物も人間も・・・。
芽が出てきました。この下は肉じゃがにして、みんなでおいしく頂きました。感謝!
ガンバレ!Hero'sニンジン!(笑)
明日に、期待!