こんにちは、ヒーローズ滝ノ水校の吉田です。
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今回は【聖徳太子】についてです。
歴史においてあまりに有名なこの人物、数々の逸話があります。
曰く、10人もの話を聞き分けた
曰く、未来を予言できた
等々、ほかにもありますがこの辺りで。
本当かよ?みたいな逸話もありますね。
実は何年も前から、聖徳太子という名前の人物は存在しなかったのではないか?という議論が巻き起こっています。
この指摘から徐々に学校の教科書からも聖徳太子という名目での記載ではなく、厩戸王(うまやとおう)という本来の名前での記載に変わってきています。
聖徳太子といえば、
・冠位十二階を定めた
・十七条の憲法をつくった
・遣隋使を派遣した
というものがありますが、議論の焦点はここです。
本当にこれらすべての偉業を聖徳太子が一人で行ったのか?という疑問です。
そもそも聖徳太子とはこれらすべての偉業を成したものへ送る称号です。
が、これらの偉業は聖徳太子一人で成したものではないという可能性が出ると、その称号が相応しくないのです。
最近の研究から、推古王朝は彼一人でなく天皇、蘇我氏、厩戸王3者の共同体制による運営とされ、
・冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
・憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
・遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた
など、彼自身の実績とは直接関係ないとする可能性も指摘され、徐々に疑問が生じています。
少なくともこの時代に、彼が天皇の摂政として存在したのは確かですが、「聖徳太子」の称号に値する“すべてをひとりで成し遂げた”人物ではなかった、つまりは「“聖徳太子”はいなかった」とする見方が生まれました。
歴史は絶えず変化し進化していくもの。
これからも色々歴史的新事実から教科書の内容は書き換えられていくでしょう。
では今回は以上です。